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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)5396号 判決 1973年11月20日

原告 日原正太郎

原告 日原和子

右両名訴訟代理人弁護士 田中幹夫

同 鷹取重信

原告両名訴訟復代理人弁護士 家近正直

被告 大阪府

右代表者知事 黒田了一

右訴訟代理人弁護士 萩原潤三

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、金四、七七六、六六六円づつとこれに対する昭和四四年一〇月一四日から完済まで年五分の割合による各金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  本件事故の発生等

(一) 原告らの長女日原律子(昭和二七年六月一〇日生)は、昭和四三年四月大阪府立高津高等学校に入学し、一年E組に属していた。

(二) 昭和四四年一月九日第三時限の体育の時間に、日原律子らは同校教諭代田志郎の指導のもとに校外に出るマラソンをしたが、同女は、約一二〇〇メートル走った後大阪市天王寺区餌差町一四番地の二の同校校門付近の路上で倒れ、同日午後四時一五分ころ同区内の大阪赤十字病院において、急性心不全のため死亡した。

2  日原律子の疾患

(一) 日原律子は、高津高等学校入学後の検診で心臓に異常があるものと診断され、さらに昭和四三年五月ころ精密検査の結果心肥大(特発性)であることがわかり、管理指導区分をC2とされ、注意観察を必要とし過激な運動などは差控えるべきものとされた。

(二) そしてこのことは、健康診断表などによって関係の教諭に通知されていた。そして原告らもその通知を受けたので、原告らは、学校から各生徒に配布されていた健康手帳の家庭から学校への連絡事項欄にこれを記載して、教諭らに注意を促していた。

3  高津高等学校教諭らの過失

(一) 注意義務

学校保健法は、学校に、生徒の毎学年定期の健康診断を義務づけ(六条)、右診断にもとづく疾病の予防措置を行ない、または治療を指示し、ならびに運動および作業を軽減するなど適切な措置をとらなければならない旨事後措置についても義務を課している(七条同法施行規則七条)。また学校医の設置を義務づけ、学校医は学校における保健管理についての専門的事項に関し技術および指導に従事することとされている(同法一六条)。

これらの点からいうと、教諭は、前記健康診断の結果を生徒や保護者に知らせて注意を促すのにとどまらず、独自に、進んで生徒に積極的な指示命令を含む指導をしなければならない義務を負うものといわなければならない。

(二) 教諭らの義務違反

(1) 教諭中川義郎は日原律子の一年E組の担任、同武岡輝行は一年生全部の学年担任、そして同跡部健三は前記代田志郎の上司にあたる体育の主任教諭であったが、同人らはいずれも日原律子の疾患について正確の知識をもたず、適切な指導を怠った。

(2) 教諭石黒典男は、昭和四三年ころ高津高等学校バレー部の顧問をしていた。日原律子は、クラブ活動としてこのバレー部に属し一週間に五回くらいの練習をしていたが、同教諭は、同女の疾患についての理解を欠き、同女をアタッカーに育てたいと考え、同部の昭和四三年度夏季合宿訓練にも参加させて過激な運動をさせた。

(3) 今西富太郎は同校学校医であるが、同人は医師として生徒に適切な指導をすべきであるにかかわらず、教諭に一般的な保健指導をしまた日原律子の疾患について家庭に注意をさせたのにとどまり、同女に対する個別的な指導はなんらしていなかった。

(4) 前記代田志郎は、本件事故発生時一年E組の体育を指導していたが、同人は、高津高等学校の保健主事でもあり、また前記精密検査をした医師西窪敏文がその結果を日原律子に知らせ、かつ、過激な運動はしないよう注意を与えた際同席しており、同女の疾患については十分認識していたものである。したがって、同人は平素から日原律子に体育の授業を休んだりするよう積極的な注意を与えることはもちろんのこと、本件事故発生前にあっても、同女に対して、少なくとも無理をしないで見学せよという程度の注意をすべきであった。とくに事故発生の日は、寒中であり冬休暇あけのころでもあったので同女にとってマラソンはかなり苦痛を伴うものであった筈である。また同女はおとなしいが芯の強い子であったから、この点からいえば、走行中多少無理をしても、より先頭に近づこうと努力するであろうことは、代田志郎には容易に推察しえた筈である。ところが同人は思いをここに至すことなく、マラソン出走のまえには、かえって、生徒に対してこのマラソンに耐えられない者は勉強にもついてゆけない、頑張れ、という趣旨の訓示を与え、みずから先頭に立って走ったりした。

4  損害

(一) 日原律子の逸失利益 四、五五三、三三三円

日原律子は死亡時一六歳であったが、同女が高等学校卒業後ただちに就職するとすれば、同女は一九歳から四四年間就労が可能であり、その月収は少なくとも三一、五五三円(昭和四四年全国女子労働者平均賃金、日本統計月報四四年二月号)である。したがって一か月の生活費を一五、〇〇〇円とみても一年間の収入は一九八、六三六円であり、これに就労可能の四四年のホフマン係数二二・九二三を乗じて現価を算出すると、四、五五三、三三三円となる。

(二) 日原律子の慰藉料 三、〇〇〇、〇〇〇円

同女は、本件事故によって多大の精神的損害を受けたが、その額は、三、〇〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。

(三) 原告らの慰藉料 各一、〇〇〇、〇〇〇円

日原律子は、小学校を首席で卒業するなど成績がよく、性格も明朗で優しく頑張り屋であったから、原告らはその成長を楽しみにしていたものである。したがって本件事故による原告らの精神的苦痛は著しく、その慰藉料は各一、〇〇〇、〇〇〇円をもって相当とする。

(四) 原告らは、同女の父および母であり、日原律子の死亡により、右(一)および(二)の合計額の二分の一に相当する三、七七六、六六六円づつの損害賠償請求権を取得した。

5  被告の責任

前記教諭および学校医は被告大阪府の公務員であり、右損害は右教諭らがその職務を行うについて過失によって生じたものであるから、被告は国家賠償法一条一項によって責任を負わなければならない。かりに同条にいう公権力の行使を狭義に解し、本件のような教育活動がこれに該当しないものとしても、被告は民法七一五条による責を免かれない。

以上の事実にもとづき、原告らは被告に対し、右合計金四、七七六、六六六円づつと、これに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四四年一〇月一四日から完済まで民法所定年五分の割合による各金員の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求原因1の(一)の事実、および(二)のうち、原告主張の日時教諭代田志郎の担当する体育の時間に日原律子が原告主張の路上で倒れ、その後急性心不全のため死亡したことは認めるが、その他の事実は否認する。右時間に行なわれた運動種目はマラソンではなく、競争を目的とせず各自が自己のペースで走る持久走と呼ばれるものであった。

2  同2の(一)のうち、日原律子が昭和四三年五月ころ原告主張の精密検査の結果心肥大(特発性)であり、管理指導区分C2とされ、注意観察を必要とし、過激な運動は差控えるべきであるとされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

2の(二)のうち、高津高等学校から原告らに対して日原律子の精密検査の結果を通知したこと、同校から各生徒に健康手帳を配布していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同3の(二)(1)のうち、原告ら主張の教諭が、その主張の担任をしていたことは認める。

3の(二)(2)のうち、教諭石黒典男が昭和四三年ころバレー部の顧問であったこと、日原律子がクラブ活動としてこのバレー部に属し、一週間五回くらいの練習をしていたこと、同女が同年のバレー部夏季合宿訓練に参加したことは認めるが、その余は否認する。

3の(二)(3)のうち今西富太郎が、高津高等学校の学校医であったことは認める。

3の(二)(4)のうち、教諭代田志郎が本件事故発生時一年E組の体育を指導していたこと、同人が高津高等学校の保健主事であり、医師西窪敏文が日原律子の精密検査の結果を同女に知らせかつ原告主張の注意を与えるとき同席していたこと、事故当日が寒中であり冬休暇あけのころであったことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  原告主張の教諭らに過失はない。すなわち次の点からすると、本件事故は予見できず、教諭らに義務違反があったといえない。

(一) 日原律子は、高津高等学校入学後の定期検診では身体に異状なしとされたものであり、原告主張の疾患は、同女がその後提出した心臓疾患調査管理票にもとづき精密検査を受けた結果はじめて判明したものである。

(二) 右検査の結果による管理指導区分はC2とされたが、学校保健法施行規則(昭和三三年六月一三日文部省令一七号)別表第一、第二によると、Cは、生活規正の面で要注意、授業をほぼ正常に行なってよいものとされ、また2は、医療の面で要観察、医師の医療行為を必要としないが定期的に医師の観察指導を必要とするものとされている。

(三) 日原律子は、右疾患判明後もバレー部でのクラブ活動を続け、夏季合宿訓練にも参加したが、いずれも異常なく過している。原告らも、クラブ活動を許し、合宿訓練もこれを承認していた。

(四) 日原律子は、本件事故の日まで全く欠席がなく、かぜのため体育の時間を二時間見学したのにとどまる。原告らからも、同女の健康状態について学校になんらの連絡もなかった。

(五) 本件事故の当日、日原律子または原告らから見学の申出はなされなかった。同女がもし持久走に堪えられないと考えるのであれば、自らその申出をして見学すべきであった。高等学校一年生であれば、自己の身体につきそれくらいの弁識能力をもっている筈である。現に事故当時は、持久走参加者四九名のうち三名が申出て見学をした。見学者のうち二名はかぜ、一名は肺結核であった。かりに、右のような弁識能力がないのであれば、原告らにおいて見学を申出させるべきであった。高津高等学校にあっては、一年生の体育年間計画および諸注意書を作成して各生徒、保護者に配布している。それによると、疾病等の事故のあるときは教官に届出て指示を受けることとされている。

とくに本件事故のまえ、日原律子は私塾の生徒数名とともに小豆島に合宿し、急病の友人を徹夜で看病し、本件事故当時疲労が残っていた。そのうえ、本件事故当日、同女は朝食もとらないで登校した。したがって、同女から、または原告らから担任の教諭に申出て持久走を見学すべきであった。

結局本件事故は、日原律子または原告らの過失にもとづくものである。

5  請求原因4のうち、日原律子が死亡時一六歳であったこと、原告らが同女の父と母であることは認めるが、その余の事実はこれを否認する。

三  抗弁

1  かりに本件について民法七一五条の適用があるとしても、被告(執行機関である大阪府教育委員会)は、原告ら主張の教諭らの選任および事業の監督につき相当の注意をしたから、被告は損害賠償の責任を負わない。

2  またかりに被告が右責任を負うとしても、本件事故の発生については、前記二の4の(五)記載のとおり、日原律子または原告らにも過失があった。したがって本件損害額の算定に当っては、この点がしんしゃくされるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実1の点は否認する。

2のうち、日原律子が小豆島に合宿したことは認めるが、その余の事実は否認する。かりに同女がこの合宿で疲れていたとしても、帰宅したのは本件事故の三日まえであるから、本件事故当時疲労が残っているようなことはありえない。

第三証拠≪省略≫

理由

第一本件事故の発生等

一  日原律子が、昭和四三年四月大阪府立高津高等学校に入学し、一年E組に属していたこと、同女が、昭和四四年一月九日第三時限の教諭代田志郎担当の体育の時間に原告主張の路上で倒れ、その後急性心不全のため死亡したことは、当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫を総合すると、右体育の時間に行なわれていた運動種目は持久走といわれるものであったこと、この持久走は、文部省が定めた指導要領にもとづき陸上競技種目の一つとして高等学校女子生徒にさせるものであり、高津高等学校ではこれを三学期中六回にわたって課することを計画していたこと、この計画によると毎週指導の要点を異にするが、本件事故発生の時間のそれは、「合理的な走法、規則正しい呼吸法および汗の処理」であり、「ファルトレク(約二〇分)を通して持久走のリズムを知り健康管理を指導」することにあるとされていたこと、ここにファルトレクというのは、自己の能力に応じて走るが、歩いてもよく、気軽に楽しくやれるものであることを意味することが、それぞれ認められる。

三  次に≪証拠省略≫によると、本件事故のあった体育の時間に行なわれた持久走は、高津高等学校校内の広さ縦横とも一二〇メートルくらいの運動場を二、三回まわった後校外に出て、同校の東裏側にある真田山公園をまわって帰ってくる全長一三〇〇メートルくらいの行程であったこと、出発まえ生徒は運動場の西側部分に集合したが、はじめ教諭代田志郎の指示により集まった者から各自で準備運動をし、ジョッキングと呼ばれるスピードの極端に遅い駈足で運動場をほぼ二周して再び西側部分に集合したこと、その後さらに全員が体操の隊形に開いて五分間くらい準備体操をした後代田志郎が生徒に注意を与えたこと、その内容は、これから行なう持久走では、全員がゆっくり走れるようなリズムをつけること、その一つの目安として二回吐いて一回吸い込む呼吸法があること、リズムがくずれる場合は体の調子が悪いこともあるのでそのときは極端にスピードを落したり歩いたりすること、そして路上を走るときには自動車などに注意することなどであったこと、その後代田志郎が先頭にたち、生徒は四列縦隊くらいに並んで出発したが、後部の方に居た日原律子は校門を出て二〇メートル余りの路上で倒れたことが、それぞれ認められる。

第二日原律子の疾患について

一  日原律子が、高津高等学校入学後の昭和四三年五月ころ、心臓の精密検査の結果心肥大(特発性)であり、管理指導区分C2とされ、注意観察を必要とし、過激な運動は差控えるべきであるとされたことは、当事者間に争いがない。

二  次に≪証拠省略≫によると、日原律子は幼少のころからこれといった病気をしたことはないこと、同高等学校入学に先立って昭和四三年三月ころ受けた身体検査の際にも異状はみられなかったこと、ところが同年五月ころ、大阪府の委嘱にもとづき財団法人結核予防会大阪府支部が行なった生徒の集団検診に際して、生徒に心臓疾患調査管理表を書かせたところ、日原律子は、睡眠不足のとき走るとすぐに貧血がおこると記入して提出したこと、かような調査の結果同校で精密検査を受けることとなった生徒は二八名あり、同女もその検査を受け、前記のとおり心肥大と診断され、その管理区分をC2とされたこと、そしてこの検査の際、これを担当した医師西窪敏文が問診をしたところ、日原律子は中学一年生のころ心臓病と診断されたことがあるような返答をしていたが、中学校における児童生徒健康診断票にはなんらの記載がなく、同人も明確に記憶しておらず、自己の心臓に疾患があるなど自覚していなかったことが、それぞれ認められる。

三  そして≪証拠省略≫を総合すると、日原律子の前記心肥大というのは心電図によると心臓の左右両心室に肥大がみられ、レントゲンによると心室節に拡大がみられるというものであること、その他心音図によると収縮期駆出性雑音がみられるが、これはとくに異常といえるものではないこと、この疾患については医学的な解明がまだなされておらず、右のような症状が現われる原因は不明で、先天性のものか後天性のものかもわからず、その治療の方法もわからないとされていること、自覚症状というものは全くないこと、したがってその発見も困難であり、死体解剖の結果はじめてさような疾患のあったことを発見したという例もあること、かような原因不明の心肥大で死亡するのは、二〇才以上の者に多く見られること、運動中に死亡した例もある反面、入浴中とか通学途上で死亡した例もあり睡眠中でも死亡することが考えられるため、運動と死亡との間の因果関係の有無、程度は医学上も不明とされていること、過激な運動を続けると心肥大は増大するおそれがあるとされていること、このような観点から日原律子の管理指導区分はC2とされたこと、この管理区分は、前記結核予防会で定め大阪府教育委員会においてもこれを採用している心臓病管理指導区分であり、これには病状の程度にもとづいての生活規正面からの区分として、高度の病変があって学業をすべて休む必要のあるAからはじまり、通常どおり学業の行なえるDに至るまでの五つの段階があること、このうちCは、軽度の病変があり、学業は注意しながらほぼ正常に行なってよいとされていること、そして教育活動に対する保健的配慮としての区分から、Cを体育についていえば軽度(徒手運動、リズム運動等)は疲労しない程度にできるものとされ、中等度(軽度の器械運動、ボール運動等)は疲労しない程度に注意して行なうこととされ、さらに高度(高度の器械運動、ボール運動及び陸上運動等(特に競争))は、疲労しない程度に特に注意して行なう但し競争はさけるとされており、またクラブ活動の高度(スポーツ的クラブ活動)についていえば、禁止又は種目により本人の身体状況希望を考慮して許可とされていること、そしてC2の2は、右管理指導区分上、1の要医療、②の要観察、異常のあるとき及び三か月ないし六か月に一回受診し、必要があれば医療を行なうものとされるのに対するもので、要観察、異常のあるとき及び六か月ないし一年に一回受診し、必要があれば医療を行なうものとされていることが、それぞれ認められる。

第三高津高等学校教諭らの過失について

一  教諭中川義郎が一年E組の担任、同武岡輝行が一年全部の学年担当そして同跡部健三が体育の主任教諭であったことは当事者間に争いがない。

原告らは、右教諭らが日原律子の疾患について正確な知識をもたず適切な指導を怠ったと主張するのであるが、かりにそうであったとしても、同女の疾患が前示のようなものであった以上、本件事故との間に相当因果関係があったということはできない。

二  次に、教諭石黒典男が昭和四三年ころ同校バレー部の顧問をしていたこと、日原律子がクラブ活動としてこのバレー部に属し、一週間五回くらいの練習をしていたこと、同女が昭和四三年度のバレー部夏季合宿訓練に参加したことは、いずれも当事者間に争いがない。

原告らは、同教諭が日原律子に右のような練習をさせたり合宿訓練に参加させたことをもって、同教諭に注意義務違反があったと主張するのであるが、同女の疾患が前記のようなものであった以上、本件事故との間に相当因果関係があったとは考えられない。また右のような練習や訓練が、本件事故を招来するほど疾患の程度を悪化させたと認めるに足る証明はない。

ただ同女が、かようなクラブ活動をしていたこと自体が、後記代田志郎の判断に消極的な影響力を与えたと思われることは、否定しえないところである。しかしながらそのことは、日原律子の死亡にとっては間接的であるに過ぎない。のみならず大阪府教育委員会の定めた管理指導区分のクラブ活動の項目によると、本人の身体状況を考慮してスポーツのクラブ活動はこれを許可されることとなっていること前示のとおりであるところ、≪証拠省略≫によると、バレーの練習中日原律子に多少動悸の激しいことがあると思われるときがありはしたものの、他の生徒との間に健康上さしたる差異があるとは考えられなかったこと、原告らから同女の健康状態についてとくに連絡はなく、合宿訓練についても原告らがこれを許可していたことが認められるから、石黒典男に原告ら主張の義務違背があったものということはできない。

三  今西富太郎が高津高等学校の学校医であることは当事者間に争いがない。原告らは、同人が学校医として個別指導を欠いた点をもって注意義務違反と主張するのであるが、日原律子の疾患については、現今の医学上治療の方法がないなどさきに認定したとおりであるから、ただ慢然と個別的指導をする義務があるというだけでは、同人の過失を認定するわけにはいかない。

四  次に、教諭代田志郎が本件事故発生当時一年E組の体育を指導していたこと、同人が高津高等学校の保健主事であり、医師西窪敏文が前記精密検査の結果を日原律子に知らせ、かつ過激な運動をしないように注意を与えたとき同席していたことは当事者間に争いがなく、本件体育種目の内容、事故発生までの経過および日原律子の疾患については前記認定のとおりである。

原告らは、代田志郎が、平素から日原律子に体育の授業を休んだりするよう積極的な注意を与え、本件事故発生前にあっても見学せよと注意をすべきであったと主張する。そして≪証拠省略≫によると、平素も本件事故前にも、さような注意はなされなかったことが認められる。

しかしながら、まず、前叙日原律子の疾患の状態からみると、平素体育の授業を休ませることと本件事故発生との間に相当因果関係があったといえないし、管理指導区分上体育の種目によって注意の程度を異にすることはさきに認定のとおりであるから、無差別に体育の授業を休ませなければならないという理由はない。

そこで次に、本件事故前代田志郎が日原律子に見学せよと注意しなかったことが注意義務違反といえるかどうか問題となるが、この点についても、日原律子の疾患である心肥大では眠っていても死亡することが考えられることさきにみたとおりである以上、本件体育と事故発生との間の相当因果関係があるといえるか疑問である。ただ、過激な運動が心肥大を増大させる危惧があるとされること前記認定のとおりであるから、この限度において相当因果関係の可能性があり、代田志郎の注意義務が問題とされる。しかしながら、当裁判所は、次の諸点からみて、結局同人の注意義務違反があったとはいえないと判断するものである。

1  日原律子の疾患が高津高等学校入学時の健康診断によっては発見しえなかったものであり、自覚症状というものがないことは前記認定のとおりであり、≪証拠省略≫によると、日原律子は外見上健康な通常人とかわりなく、体育には積極的でありその成績もよかったことが認められる。

2  日原律子の疾患は、現今の医学上原因不明で治療の方法もないとされていること、医師西窪敏文が日原律子にこの疾患を告げ注意を与えたとき代田志郎が同席したことは前記のとおりであるが、≪証拠省略≫によると、西窪敏文から日原律子への注意は、疾患が右のようなものであるためもあって、過激な運動は自分から差控え、もし自覚症状がでたときはただちに医師と相談することという程度のものであったことが認められる。

3  日原律子が、右のように疾患を告げられて後もバレー部のクラブ活動を行ない、その身体にさしたる変化がみられなかったこと、前叙のとおりである。

4  本件事故発生時に行なわれていた体育の種目は、さきに認定したところからすると、前記心臓管理指導区分のCの高度の区分に該当するが、それは競争的な種目であるということはできないから、この基準からいうと、右種目を日原律子に課したこと自体になんらの責むべき点はないと思われる。

5  ≪証拠省略≫によると、高津高等学校においては、昭和四三年度入学の生徒に体育年間計画及諸注意と題する書面を交付したが、その注意事項の一つには、疾病等事故のある場合は授業前に担当教官に申出て指示を受けることという項目があること、本件事故発生時の体育の時間にも事前に届出をして見学をした者が三名あったことが認められる。

そして一般に高等学校一年生の生徒であれば、是非の弁別能力はかなり高度となり保健衛生についても相当の知識をもつに至ると思われ、≪証拠省略≫によると、日原律子は一般的な水準に劣るところはなかったことが窺われ、同女が医師西窪敏文から注意を受けたのは、過激な運動は自分から差控えよということであったこと前示のとおりである。

これらの点からすると、日原律子自らの判断で見学にまわることを期待しても、これをあながち不当といえないと思われる。

第四結論

以上みてきたとおりであるから、高津高等学校の教諭らに過失のあることを前提とする原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当といわなければならない。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川恭 裁判官 飯原一乗 裁判官門口正人は差支えにつき署名押印できない。裁判長裁判官 石川恭)

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